屋根裏    英ちゃんの部屋アーカイブ(過去の説法記録) 

 

5月 名字考(寺の法名帳から)

英語で言うfamily nameに該当する言葉を漢字では名字または苗字(みょうじ)あるいは○○姓とも言うが、以下、「名字」と統一表現し、この名字について考えてみる。

これまで私は名字というものは「武家社会である江戸時代に名字を名乗れるのは武士階級だけで、一般庶民いわゆる民百姓は名字を持てなかった。あるいは、この身分制度のもとで、元来名字があったのに剥奪された。しかし明治維新で誰でも名字を持ち名字を自由に名乗れるようになった」と理解していた。

「明治になり、誰でも名字を持つことができるようになった」というのは明治維新のおかげで「名字帯刀は武士」という封建制社会の一つの統治システムが無くなった、だから明治維新とは「良い時代の到来」的な教育(「常識」か)を受け入れてきた結果である。

今まで私は江戸時代の名字を持った者は文字通り「名を馳せた=お偉い人」で名字が無い人は「名もない人=大した人ではなかった」という固定観念があったのだ。

「名字帯刀は武士だけ」が「明治になって庶民にも名字が許された」には「それでは名字を誰が許可したのか」という考えが私には完全に抜け落ちていた。今風に云えば名字の「許認可権」のことが今頃になって気になりだした。

つまり名字の「許認可」いわば「公認」には為政者と役人を意味する「お上のご意向」があった。この「お上」意識に私は飲み込まれていた=洗脳されていたのではないかと思うのである。

もちろん庶民は名字が無く(許されなく)ても工夫してりっぱに生きてきた。言ってしまえば江戸時代一般庶民の間では名字が無用だったのではということだ。

かつては「ナントカ村の太郎さん」「新田の多助さん」でお互いが十分に相通じる社会であった。

今でも親族や友人の間では親しみを込めて名前を呼び合う訳で、名字で人をよべばかえってよそよそしい。ご承知の通り落語や昔話の登場人物はほとんど名前だけである。

江戸時代の法名帳(葬儀執行の記録、過去帳ともいう)の一般庶民物故者は法名と命日に続いて「×村・百姓、□右衛門の父△平 何歳」という記載の仕方になっている。商人の家では商売のうえで当然「屋号」を持つから職業種を示す「○○屋」が記入する場合がある。

一方で武家は浪人(牢人とも書く)であっても武士なのできちんと名字が書かれてあるのだ。

だから法名帳には一般庶民の方は名字無しで、女性や子どもにいたっては「□平次の女房とか長男」として名前は書かれていないことが多い。つまり続柄(子孫の系統)がよく通じず、今では誰の先祖さんか分からず困ってしまう面もある。

しかし当時は「地域名と名前と続柄」だけで「縁あった人々の生きざま、死にざま」が語り継がれたのではないか。

今のような遺影(画像・音声記録を含む)等がなくとも、いや便利な記録装置がないが故にお互いが「縁あった人々」をしっかり「記憶」していたのではないかと思う。   

ところで実は寺の法名帳は統治政策の一部門を担う役割も果たしていた。江戸幕府の「宗門改(しゅうもんあらため)」というものである。法名帳は「人別帳(にんべつちょう)」と呼ばれ「戸籍簿」として機能した。

つまり江戸時代は寺が法名帳を通じて戸籍係をしていたのだ。人々は亡くなればイヤでも必ずどこかの寺に檀家、門徒として所属した形で仏式の葬式をしなければならなかった。 そうすれば階層別の人口把握(国勢調査みたいに)等も可能だったのである。きっかけはキリシタン禁止(弾圧)だと思うが、広辞苑によれば人別帳(法名帳)に記載されていないと「無宿人」と呼ばれたとある。つまり下手をすれば無国籍状態になる訳だ。

また最大の問題として非差別部落の人達を「エタ・非人」と法名帳に書き込んで身分を落とし込め差別を固定化する役割もあったのである。
 
以上、名字のことから内容が多方面に渡ってしまったが、寺は「葬式仏教」で「弔い専門業」と思われているが、歴史的に見て決してそうではない。「お上」を支える「下請け」みたいなことをしていたのも事実だと思う。

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